情熱を生きる
気性が激しくて情熱的、熱しやすくて冷めやすい
情に厚くて、涙もろい
子供っぽくて優しい。
本来の性質を抑えながら生きてきたことはとても辛かった。
子供の頃何かしようとすると、親にいつも止められた。
夢中になって遊んで門限を過ぎた時、心配のあまり母は帰ってきた私をみた瞬間、頬を思いっきりひっぱたいて怒鳴った。
両親の思い通りにならないこの気性は、時には倒れるまで殴り続けられることもあった。
いつしか情熱は持ってはいけないものとなり、自分の望みは奥に押しやられ、何か望むことすら恥じるようになり、誰かを失望させないように生きるようになった。
私は私を裏切り続けた。
願わくば、子供の時に安心していろんなことを望み、失敗して、成長させていきたかった。
失敗がとても怖かったのと、望みをどのように人の手を借りながら実現させていく方法が全くわからないまま年だけを重ねていった。
無難に、生きやすいように、みんなと同じように
いつしか心から笑うことも話すこともいよいよ困難になった時
扉は開かれた
それはなかなか過酷な開き方だったが
とにかく開かれた。
長い話をうんと端折って言うと
今はどうかと言うと
失敗したら最悪死ぬだけで
怖いことは怖いこと
誰も私を止める人は
私しかいない。
呆れられても
嫌われても
ほっとかれても
無視されても
全部自分の責任
私は私を生きていくことをやっと選べるようになった
さて、
人生は旅だ
Life is journey
ハワイ島留学時代、よく聞いた言葉だ。
継続セッションが終わる度にクライアントさんと一緒に旅をしてきたような気持ちになる。
5回と言う限られた時間の中、一緒に過ごした時間は本当に楽しい。
本当はとても情熱的で熱い人がそのままのパッションを健全に表現して生きていくことはとても美しいと思う。
その美しさを感じた最後のセッションだった。
激しさは悪いことではない。
そして激しさを持ったまま優しさを表現することもできる。
情熱を生きよう
愛しています
ありがとう
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