私は急がない
仮に「尊厳を取り戻す」と言うことが大きなテーマだった場合、
何度も何度もそれを刺激するようなお試しのようなことが起こる
正確に言うと、尊厳がないのでいつも同じような局面で同じように対応して繰り返すだけなのですが。
大抵の場合、何か問題と感じることがあると、それは幼い頃からの生育過程、両親との関係から作られてくるものになります。
「尊厳を感じられない」のも大元を辿ると両親からの関係に大きく影響されています。
そんなことはない、両親は私を尊重してくれて育ててくれた、と言う記憶があるとして、
その両親に対して、自分の意見が言えなかったり、自分の気持ちを押し殺してなかったことにしている自分に気づかなかったりするケースもあります。
尊重されて育ってきたら
それは言えると思うのですが。
まず、両親に自分の意見が言えない
と言う事実にたどり着くだけでも
人にもよりますが
1年くらいかかる方もいらっしゃいます。
何層にも重なった傷やブロック
自分のセルフイメージ
思い込みが少しづつ少しづつ剥がれていきます。
抑圧された怒りが表面に出てくる時
人によっては罪悪感となったり
また、自分がこうなったのは両親のせいだ!
と責任を自分で背負えない時もあります。
時としてとてもつらい行為かもしれませんが、
その怒りを見つめて
許しを自分に与えてあげると
そこから魂の解放が訪れます
憎しみが感謝に変わる瞬間
その瞬間に一緒にいさせてもらうことが
私の喜びでもあります。
一瞬で変わる可能性もあってもいい
そして、またゆっくり時間をかけて変容していく場合もあります
そして私は急がない
私もまた、日々自分を見つめている一人の人間です
私自身、
何年もかけてやっとここまでこれたのだ、と実感しているところです。
そしてまだ、旅路の途中なのであります
私は急がない
その人の最適の時がくるまで一緒にいます
0コメント