自由になりたい

今日はこんなタイトルになってしまったけど

自由ってなんだろう?


とある宇宙人が言っていたのは

やりたいことを

やりたいときに

できること


と言っていた記憶があるが

さてなんだろう?

 

考えると奥が深すぎて

書くまえに気力が萎えてしまう

でも頑張って書いてみようと思う。


私は

お金とか

環境とか

人間関係とか

性別とか

年齢とか

色々あるけど

人はその置かれた状況下において

何を選ぶのかだけは

自由

なのだと思う。


幸福を感じるか

不幸を感じるか

その状況を抜け出そうと頑張るか

楽しもうとするか

諦めることも

全部


私はハワイが大好きで

海も自然も大好きだけど

今だってハワイに行けるのであれば行きたいけれど

ハワイ島にいた時の私も幸せを感じていたけれど

今より自由だったか?

と問われると

そうとは思えない。


今より狭い思い込みの枠の中で生きていたし

いろんなことを感じる幅も

人とオープンに付き合っているつもりでも

今と比べると断然に閉じていたと思う。

選択の幅も狭かった。


今が決して広いとは言えないけれど

当社比として


日本に帰って来たばかりの時

とある忘年会に呼んでいただいて

旅館のある一室で

若い時にグリーンカードのロッタリーが当たり

それがある理由で放棄せざるおえなくて

日本で結婚して過ごした人と話し込んだことがあった


その人の言葉が

今の私の大きな支えになっている


お互いにアメリカという国においてなかなかドラマチックな過去を共有していた。

当時、どう生きていってよいか全くわからなかった、途方にくれていた私に


アメリカでの生活はとても良かったし、きっとそのまま暮らしていても幸せで楽しかった人生だったと思う。

でもね、えっちゃん。

私が日本に帰って来たのは、きっと私の魂がより深く私の人生を生きたいっていう思いからこうゆう流れになったのだと思うの。

だからね、えっちゃん。

今はなぜここにいるのか、わからないかもしれない。

すぐにはわからないかもしれない。

もしかしたらわかるのは10年、20年後かもしれない。

だけどね、きっとわかる日が来ると思うの。


という言葉が私の大きな支えとなっていった。


そして、

日本に帰ってからもう少しで4年経とうとしている。


月日が重なるごとに

私はその意味がわかるような気がしている。

きっと10年20年後にはもっとわかっていると思うのだ。


その恩人の女性は

日本に帰って来て

お子さんを授かって

ある日突然、歌が歌えるようになって

歌手として活動されていた。

忘年会で聴いた

let it be

私が聴いた最後になってしまった。


今は、

ここの世界にはいない。


命のバトンを渡されたような

そんな思い出だった。

たくさんの歌をうたって

たくさんの人たちにきっとバトンを渡された人生だったのではないかな?

と勝手に思っている。


今、

これを書いていても

涙が溢れてくる。

たった一度だけ会って

ほんの30分程度の会話だったけれど

私の大きな支えとなっている。


あの時の私より

私は今、

自由を感じている。

自分の中に

力がある

と感じている

今はまだ小さなものだけれど

それは確かにある

と感じている。


その

自分を信頼して

自分の力を頼りに

育ていく

それが

自由につながっていくのではないかな?

と感じている。


拙い文章。

拙い考え。

これが私の今の精一杯。

呼んでくれて

ありがとう

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます