カルマとトラウマ その1

過去生が視れます!前世が視れます!

そのような方に何人か視てもらった事がある。何度も生まれ変わっているから、かぶらない、と言うこともあるかもしれないけれど、一度も同じ前世を視えた人に会った事がない。

みんな違うことを言う。

私は別にその人たちが嘘をついているとも思っていない。

でも何でみんな違うんだろう?

と考えたことがある。これは私の考察の一つだと思って欲しい。

それにはまず、カルマについて思っていることを書きたいと思う。

やった事が帰ってくる、因果応報、と言う意味でも使われているかもしれないけれど、私は少し違う風に捉えている。

生きているうちに果たせなかった願いや感情、念のようなものを果たすためにこの世にもう一度生まれてくるのだと感じている。

例えば、愛し愛されたいと前世で強く願ったけれどそれが果たせなかった場合、今世で生まれた一つの課題(願い)が愛し愛される事だったりする。

また憎しみにまみれて亡くなった場合、その憎しみがエネルギーとなり今世に物質化されて生まれきた。そして、その憎しみを解消すべく今世に生まれ直してくるのかもしれない。それがカルマなんじゃないかな?と思っている。

いろんな果たされなかった願い、悲しみや喪失感、憎しみ、または幸せと感じることもエネルギーが高まって物質化して人間として生まれてくるんじゃないかなあ、と思っている。

そしてそれは一つの人生だけでなく、幾つもの人生にまたがっている。例えば、人を突然失ってしまったという悲しみなら、その悲しみはいくつもの人生にまたがっているものだと感じている。ある人生は、最愛の夫が戦争でなくなり、また別のある人生では生まれた赤ちゃんと引き離されてしまった、というように。

もし、前世を視れる人がいたならば、それがどのような人物だったか、どんな人生だったか、と言うのはあくまでも比喩であって、重要なのは人を失ってしまうことへの悲しみではないだろうか?前世にどんな人物だったか、どのような人生だったかは、視える方のフィルターを通して出てきた比喩なのではないかなあ、と感じている。

だとしたら、ずっと生まれ変わり続けるしかないじゃないか!と言うことになる。だって肉体を持って生きていれば痛い思いもするし、いろんな理不尽なこと、感情が生まれる。願いが叶えられたとしても、また新たな願いが出てくることは必須だからだ。だからこの世は幻想だったと見抜くこと=解脱することでこの輪廻転生のカルマの輪から抜け出せる、といわれているのではないかな?と理解している。

ここまでは大丈夫でしょうか?ちょっとぶっ飛んでいるお話ですが、そうなんじゃないかな〜と言うことをかいてみました。

さて、次にトラウマである。

人を失う(大事な人を失う)悲しみがある場合、失う事が怖くて人を最初から愛することや深く関わりを持つことを放棄している人がいるとする。

そうすることで悲しみの感情を感じないように自分の身を守っている方法をとっている人がいたとする。実際今世でも形を変えて同じような出来事が起こったとする。例えば、お母さんを事故で突然失ってしまったとする。同じ境遇で生まれ育った兄弟がいたとしても、兄はずっと立ち直れなくて弟は落ち込みはするけれど徐々に元気になっていくこともある。個人の持っている失うことのストレスへの回復力の差が出てくる。

いろんな要素が考えられるけれど、過去生でも何でもいいんだけど、その人の特徴が表れてくる。そして、いつまでも立ち直れない兄の願いは、失ってしまってもそこからまた愛を見つけて出会っていくことかもしれない。

それが今世での願いの一つかもしれないってことだ。

さてさて、トラウマと願いについて、もう少し書いていきたいと思います。

長くなったので続きはまた後ほど書けることを祈って!

読んでくれてありがとうございます。

ʻOluʻOlu

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