ここにいるよ

大好きなブログがあるのですが

こちらを読んだらツラツラと書きたくなったことが出てきたので書いてみます

私は新宿高校に通っていた。

当時、学校が辛くて辛くて、勉強も全くついていけなくて

新宿歌舞伎町に映画をよく観に行っていた。授業をサボって。

ブログのK君の気持ちが痛いほどわかって読んでいて少し切なかった。

私をこちら側に引き止めたものは

学校など行かず、歌舞伎町で映画を観ていたからこそ生きてこれたんだな、と思う。

一見無駄のように思えるその時間こそが命綱になることがある

今、なんの生産性もないと言われているような毎日を過ごしている方

どうか、責めないでね、その時間がもしかしたら

あなたを生きさせているもので

長い準備期間かもしれないから

この頃にできた傷は根深いようで

私は長らくの間、体をリラックスさせることを許していなかったことに気がついた。

力を抜いていくと

とても怖いのである。

そしてここ最近、

ボディワークで一つの力が抜けた時

不快感と焦り、恐れの感情が出てきたが

どうやらそれも統合が取れてきたみたいで

今は同じ状態になっても不快な感覚は出てこなくなった

そして生きる、と言うことにさらに深くコミットメントできたように感じている

統合をとるのに1ヶ月くらいかかったけれど

その間自分でも毎日グラウンディングや運動、瞑想などして統合をとっていった。

特に朝の目が醒めるときの寝惚け眼の状態の時の

気づきがすごくて

そこで意図的に安心してリラックスしても大丈夫、という感覚を統合をしていった。

この時期の友人達の交流も私に大きな安らぎを与えてくれた。

私はヒーリングとロミロミをしているが

友人達は一切私のセッションを受けたことがない

そして私がどんな仕事をしようとも

たとえ仕事をしていなくなったプーになったとしても

変わらず接してくれる、励ましてくれる、応援してくれる

平たく言えば愛してくれる

という感覚を私に与えてくれてた。

ある時期の親に切実に求めた

無条件の愛を

友人達はその時、代わりに与えてくれたように感じた

それは真実かどうかわからないけれど

そう私が感じたことが重要なのです。

そうなってくると

日常生活の些細なこと

私ができないこと

能力がないなあと思っているジャンル

社会不適合かも、と思われることが

さほど気にならなくなった。

もし、今できないことを望んだとして

そこでやらずに諦めることも出来るし

なんなら時間をかけてチャレンジすることも可能だ

そしてチャレンジして、ダメでも

とても悔しいだけで

私と言う人間が劣っている訳でも

価値がない訳でもなく

友人達は相変わらず愛してくれている

という確信がある。

そう、本当は自分がどんな自分でも愛してあげれば

大丈夫なんだな

と言う、巷でよく言われていることが

本当にハラに落ちてきた感覚を持ち始めている。

なんと言うか

ここにいるよ

と言う感覚

誰が?

と言われると

私が

ここにいるよ

という感覚。

ただいま統合中

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます 本当の自分を生きる未来創造セッション講座 7月募集中