命
誕生があれば
命の終わりも必ずある
では何のために生きるの?
その答えは最後まで分からないかもしれないね
生きているから
生きるんだ
実家の高齢の犬のシェパードちゃんが
病気でとても苦しそうだった。
シェパードって高齢になって病気になると
急によくなくなっていって、
ある日を境にパッと亡くなってしまうことが多い
今いる子は4代目の子で
母はいつ逝ってしまってもおかしくないことを知っているから
その子の隣にお布団を敷いて寝ている
昔は
そんな母を見るのが辛かったけれど
生きている間の
楽しかった時間、
そして向こう側に行こうとしている
その子とのお別れの悲しみの時間
どちらも等しく平等にあって
必要だと思えるようになった。
母に問題は何一つなく、
見ている、感じている私の問題だったのだ。
人生の終盤に差し掛かった人を見守る時
愛おしいその人を見る時
残された時間を
どうか安らかであるように願うのは
自然なことだ
そして、
どんなにその人のために精一杯やったとしても
もっと何かできたのでないだろうか?
と思うのも
世の常だと思う。
そして、
その時、
やっぱり精一杯
それが自分のできた精一杯で
ベストだったんだと思う
そして、シェパードのその子は
多分死ぬまで
自分は生きると思っている
そして、
人も同じように
死ぬまで生きるって思っていたい。
そしてそれまでは
その人も
周りの人も
ベストを尽くしていたいと思うのだと
思う。
何となく、
そんなことを
感じた1日でした
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