ラブレターの思い出
小学1年生の時
初めてクラスの男の子からラブレターをもらった
その子はいつも私を弄っていて
いじめていて
私はあまりその子のことが好きではなかった
なのでそのラブレターは衝撃だった!
そしてラブレターをもらうこと自体ショックで
特別に向けられたその気持ちは
気持ち悪くて迷惑で嫌悪感と怖さが入り混じっていた
(相手の子も純粋だっただろうに。。。)
泣きながらお家に帰って母にラブレターを見せ、
捨ててもらった 笑
(男の子、かわいそうだけど、しょうがないよね)
母は
こたつの中で泣いている私の背中に
そっと手を置いて
大丈夫よ
その子も愛情表現が苦手だったんだよ
そして別に好きにならなくていいよ
って慰めてもらった
私の大切な思い出
私が不安になった時
この思い出が一番私を安心させてくれた思い出
母はとても心配性で
これ以降の記憶では
私が不安になった時、
安心するような記憶は思い出せない。
小学1年生のこの可愛い思い出が
母にとっては心配しなくて済む出来事だったんだろう。
それ以後、
私は病気になる時も
何か心配事がある時も
不安になる時も
何か進路を決めていく時も
母はいつも一生懸命で
母の私への将来の心配と不安が伝わってきた。
母が私に一生懸命になるほどに
私は不安になっていった。
そして私も常に心配性で不安を抱えるようになった。
先日
インターネットでの買い物が上手くできなくて
やり方を聞いてきた母だけれど
私が何か説明しようとすると
話を遮り、自分の不安をずっと話している
不安をひとしきり聴いて、また状況を確認しようと質問すると
質問には答えず、また不安を繰り返していた。
とりあえず状況は置いといて安心してもらうようにして電話を切ったが
ストレスで夜中に目が覚めてしまう母。
その不安を聴いていて、
ああ、これが私に向けられていた時があったんだなあ、
と思い出していた。
私の将来と
私の相談事などは
全て母の心配の種となり
私にその心配のエネルギーを向け
安心ではなく、不安と怒りを向けられていた
ただでさえ繊細で人の感情を吸い取ってしまう私は
いつも緊張の中で過ごしていた
けれど
このラブレターの思い出が
私を支えてくれている。
あの時の母のように
完璧に包んでくれて安心を与えてくれたように
大人になった私が今、
私にしてあげている。
人は大人になってから
学び直せるし
子供の時に
自分がして欲しかった愛し方や接し方は
自分が自分にしてあげることができる
私は今
ゆっくりだけど
自分に
あのこたつの中にいたような気持ちを
自分に与えてあげている
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