人も自分も応援してあげよう

私の身の回りにいる人たちは

とても優しいし、人のことを応援してくれる人たちだ。

褒め上手だし、なんだかゆったりしている。

一括りにするのはよくないけれど

日本人は謙遜の文化があって

自分の夫や妻や子供のことを

ダメなできていない、というようなことを他人に言ったりしている方がいたなあ、という記憶がある。

ある人も

うちの息子はこの年になっても子供のままでダメな息子なんだけど

と私に紹介してくれたことがあったのだけれど

私はなんだか昔の自分と母の間の記憶が蘇ってきて悲しくなって

いえいえ、私もこの年になっても子供のままですが元気に生きています

と答えて、相手の方(息子さんも含めて)ぎょっとさせてしまったことがある。

私は母に言われてきたある過去の記憶が蘇って悲しくなってしまって

その方とは全く関係ないのに

息子さんを励ましたくて、そのままでいいんだよって言いたくて

そのように返してしまった。

今、思い返してみれば、その人の言ったことは本気ではなかったかもしれない。

私に子供でってことをそのまま肯定されて、とても失礼な人だと感じたことだろう。

そうゆう日本の?常識が私には欠けていて

そして自分の傷からいらん事を言ったりして

結構誤解されたりしやすかった。

けれども、私の問題もあったにしても思い返してみてやっぱりちょっと悲しい。

自分の息子を本当にそうだとは思っていないとしても(潜在的にはそう思っていると私は感じたんだけど)

この年になっても子供なダメな息子です

(恥じているような?と感じてしまった)

ってもし私が母から母の知人にそのように紹介されたらやっぱり悲しいです。

私も子供ですが元気に生きていますって返したときに

はっはっは〜って一緒に笑ってくれたら

それはそれでいいなあ、と思えるんだけど

怖いくらいにぎょっとされてしまった。

とてもそこの会話には余裕が感じられなかったのだ。


言葉には魂が宿るというけれど

そこにエネルギーが乗ってくると効果は倍増だ。

そのまま現実になる。


子供のままなのがいけないのではない。

そこに恥じのようなもの、ダメな息子が感じられれば

自分は生きていて恥知るような存在になっていく

言葉はただの言葉だけれど、

エネルギーを気をつけたほうがいい。

同じ大っ嫌いでも

大好きすぎて言ってしまうのか

本当に嫌いなのかは

多分ほとんどの人が感じ取って分かるだろう

エネルギーなのです。


人が何かやっていて、

たとえその人に何も言わなくても

心の中でずっと批判したりしていると

どうしても自分のことも同じように批判してしまうと思う。

というか自分に対してもいつもやっているに違いない。

脳って自分と他人の区別がつかないから

人に対して否定的な事を思ったり言ったりしていると

実は自分に対しても同じように言っていることになってしまう。

だから、なんか自分が辛いなあ、って感じた時は

頑張って感謝できることや

今あるものに目を向けるといいです。

うまくいっている時は簡単にできるけど

辛い時って難しいよね

だけどちょっと頑張ってやってみる。

人のいいところを見つけたり

褒めたりしてあげる

自分のことも同じように


今日は何もできていないって思っても

頑張って朝起きることができた

とか

ご飯、食べることできた

でもいいと思います。

本当に生きているだけで、すごいと思います。

今日のことは自分に対して一番に言ってあげたいこと

私の周りには褒め上手、私の本質をずっとみてくれる人たち沢山いる。

本当にありがとうございます。

そして!グラウンディング講座、

先ほと満席となりました!

ありがとうございます!


ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます