過去の私に会いに行く
20代の頃の私は
お酒を浴びるように飲んでいて
毎日お酒を外に飲みに行っていた。
タバコは1日最低一箱は開けていて
多いときは2箱
カラオケに
夜、お酒とタバコとたまにアイスクリームをお酒の最後の締めに食べていたりした。
ちょっと信じられないな
自分でも
私はとても素直な性格だから
外側の環境にとても染まりやすい。
環境のせいにしているのではなくて
事実を述べているだけだけど
だから今も
ちょっと自分の好きが信じられない時がある
それは本当に私が良いと思ったのか
それとも私の周りの人たち
特に影響力のある人が良いといったから
良いと思ってしまったのか、とか。
たとえ体に良いとされていることや
お洒落なものや服
食べ物も
もしかしたら本当は私、憧れているだけじゃないの?
と思うこともある
話は脱線したけれど
今日、20代の頃に入り浸っていた飲み屋さんが
来週の水曜日に閉まる
そのことをフェイスブックの投稿で知って、
東京に出かけることもあったし
オーナーさんに会いに行った。
最後に会ったのはいつだろう。
30代に入った頃は
体調を大幅に崩して、(当たり前だよね)タバコはもう吸っていなかったし、
環境も変わってお店には出入りしなくなっていった。
そのあとハワイに行って
日本に帰ってきて愛知に住んで
多分7〜8年ぶりに
オーナーのYさんに会った。
お店の雰囲気もYさんも
全く変わっていなくて
お互いに
会った瞬間に
ハートがバーっと開いて
泣いてしまった。
20代の頃の私は
本当に閉じていて
今思い返しても可哀想なくらいだった。
無知でアホだったし。。。。
何も考えていなかった。(今もそうだけど)
そんな私をずっと見てくれていたYさんを目の前にしたら
もう泣けて泣けて
20代の頃の私が一緒に側に立っていてくれていた気分だった。
そう、私は何も変わっていない
そんな気分だった
Yさんも私の最近のフェイスブックの投稿を見て
頑張っているんだねって思っていて、大人になった私に会えると思っていたけど
実際会って、一言二言話したら、全く変わっていないえっちゃんで
変わっていないね〜
と泣きながら言っていた。
月日って本当に本当にすごい。
Yさんも変わっていないし。
私はどこか、20代の自分のことを軽蔑していたんだろうか?
昔の自分が嫌いで、その時代に一緒にいた人たちと会いたくなかったのだろうか?
そうかもしれない。
お店が閉まる
と聞いて、最初は行くつもりなんてなかったけれど
本当に?
と自分に問いかけてみると
会いたい、
行きたい、
挨拶したい、
とても
お世話になった場所だ
という答えがハートから帰ってきた。
自分の過去を
私はまだ
許せていないのだろうか?
認めていないのだろうか?
ううん、
もし、本当に認めてなかったら許せていなかったら
今日、ここへは来なかったはず
Yさんとも一緒に話さず、
ましては感動して泣かなかったはず。
夜に予定が入っていて、長居できない私に
いーよ、ビールを一杯奢ってあげる
Yさんは最後に私にビールをご馳走してくれました。
何も変わっていない私
だけど今日、ちょっとだけ話して
やっぱり変わった
私は変わった。
人に何かを期待しなくなった
自分の気持ちをはっきり伝えられるようになった
相手の話も聴くことができた
歌の話、
ヒーリングの話
近所の人の話
両親のこと
話はとりとめもなくあっちにこっちに
昔を知っている人には
隠せない
知っているから
いつも隠しているわけではないけれど
今、
過去と現在と未来が交差する場所に
立っているようなそんな気分
人はいつも優しかった。
私は少しだけ強くなった。
そしてやっぱり弱い。
今、心の中に響いているのは
愛しています
ありがとう
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