見守る

そのやり方だと堂々巡りな気がする。

本当にやりたいことじゃなさそう。

すごい抵抗を感じる。

親の立場から見たら全然気にすることないのに

子供の立場から見たらそこは気にしていないし

家庭を持つってこうゆうことを感じることがあるんだ

そんな発想今までなかったよ

きっと寂しかったんだろうな


時として、自分のことは

自分より他人様の方が

より的確に状態を見れたり感じられたりする。

たとえ立場が違っても

同じ経験がなくても


私の母は

結婚したこともないのに

親になったこともないのに

そんなこと言われたくない

と私の言葉を受け取ってくれないことが多々あった。

当時の私の言い方が悪かったのと、デリカシーのなさの部分もあったと思う。

また、私に対してだけでなく、

あの人は、子供を持ったことないから、私の気持ちがわからない

と聞くことも何度もあった。

別に母のことをそのことで今、憎んでいるわけでもないのだけれど、以前は、経験のない私には何も意見や感じたことさえも口に出してはいけない立場なんだ、という考えが深く刻み込まれていた。

(今は違う)

けれども本当にそうだろうか?

立場が違うからこそ見えてくる発想、視点、思い込みのようなものを発見できる可能性を潰してしまってないだろうか?

だって、その自分だけの思いが辛くて悩んでいるのだから。

もちろん言い方を気をつけたり、軽々しく何かアドバイス的なものを言うのはお門違いだ。

同じ経験をしているからこそ、より深くその人の悩みに共感できる部分もある。

そして経験がないために分からない部分ももちろんある。

そうゆうことではなく、

立場が違う人の意見を全て受け入れられない場合のこと。

傷からくる、全てに拒絶反応を起こしてしまっているときは、本当に辛いよね。


幸い私の周りには、そこを本当に理解して、時に感じたままを伝えてくれたり、何も言わずに見守ってくれている仲間がいる。

見守る。

その人のことをただ信頼して話を聴いて見守れる人。

見守るだけだなんて、何も変わらない。

と思う人もいるかもしれない。

本当に?

その人の話を聴いて

なんの否定もせず、感じたことを伝えて、見守る。

少しづつ

何ヶ月も

時に何年もかけて

本当に変容していく。

そこにその人を変えてやろうとか、分からせてやろうとか、こいつに何言っても無駄だなあ、とかそんなことは意図せず、

ただただ、その人の本質を見て、その人自身もまだ気づいていないその人の本質を見続けて見守る。

本当に少しづつだ

変容していくのは

大きな変容もあるけれど

体と一緒で揺り戻しが激しい。

その見守ることの尊さを

私は今

ひしひしと感じている。


6月から

対面セッションの再開を予定してます。

本当にゆっくり準備しています😊

募集枠もそんなに多くせず、

換気と感染対策をして

ゆっくりと再開できたらと思っています。

みなさんにお知らせできることを楽しみにしております。


ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます