おばあちゃん

私の顔は父方の祖母にそっくりだ。

白黒のセーラー服のおばあちゃんの女学生時代の写真を見ると自分かと思うくらいそっくりだ。

学生時代の友達がお家に遊びにきておばあちゃんの顔を見た瞬間、吹き出して笑った。

あまりにも私に似ていたからだ、という理由で。

臆病なおばあちゃんは、笑われた事が恥ずかしくて自分がみっともないから笑われたんだ、と思ってその後部屋の奥に引っ込んで出てこなかった。

可哀想なおばあちゃん。

おばあちゃんの迷言を私はたくさん覚えている。

1)どんなに相手からひどいことを言われても10数えて自分の思っていることを絶対口に出してはダメ。我慢するのよ。自分の気持ちなんて絶対人に言ってはダメ。

2)えっちゃんはどんな人と結婚したい?銀行の人?商売している人?お役人?会社員?

3)おばあちゃんは若い時に川で泳ぐのが大好きで、日に焼けすぎてしまったの。だから今こんなにしわくちゃなの。日に焼けては絶対ダメよ。

4)本当は、幸子って名前にしたかったの。だけど、うちの家系で幸せになった女の子はいなかったから、おじいさんの決めた名前でもいいかって思ったの。

5)おじいさんと初めて会ったのは結婚式場だったの。あんなに背が高い人と結婚するなんて、怖くて死んでしまいたかった。(祖父は178センチくらいで大正生まれにしては背が高かった)

ざっと印象深い迷言を書いてみたけど、おばあちゃん。。。。と私は思ってしまった。

私はおばあちゃんが大好きだった。小学校の時はおばあちゃんといつもお菓子を食べながら水戸黄門の再放送を見ているのが好きだった。

長野の農家に昭和一桁の時に生まれて育った女の子。

生まれた土地、家庭、時代、価値観はそこで作られる。

私は両親の影響はもちろん受けて育っているけれど、遡っていけば、祖父母は両親に影響を与え、さらに遡れば沢山のご先祖様がいて私が今ここにいる。

きっと私は沢山のものを引き継いでここにいるのだろう。

私はといえば、相手のひどいことに我慢なんてできもせず、どんな人、というよりはどんな職業の人と結婚するのかと問われても、結婚できるのかしら?と思い、日に焼けて海で泳ぐのがいまだに好きで、幸せかどうかはわからないけど 笑 自分の意思で結婚できなかった時代背景に驚いている。

全く共感もできないし、全然違うって思っているのだけれど、それでもやっぱり、なんだかこのおばあちゃんの思想は、私の体のどこかや潜在意識の中に残っているような気もする。

とても素晴らしい環境で育ったような人を見ると、羨ましくなる時があるけれど、それとは別に私はやっぱり自分の人生を選んで生きているような気がする。

それにしても、おばあちゃんの迷言を思い出すたびに、胸が痛くなる時もある。

女性が今よりもずっとずっと大変だった時代、小さな女の子のおばあちゃんを思うと、胸がキュンとなる。

若い時はおばあちゃんの顔にそっくりだった私だけど、最近は母に似てきている。

なんだか顔が変わった気がする。

おばあちゃんの時代にできなかったことを沢山してきたうちに、顔が変わったのかもしれない。

私がのびのびすればするほど、きっとおばあちゃんは喜んでくれていると思う。

おじいちゃんの迷言も沢山あるけど 笑

ピアスを開けただけで、孫じゃない、と言われたこととか。

だけど思う。

あの世の価値観はこの世の価値観じゃないから

私が今こうやって生きているだけで、みんな祝福してくれているんじゃないかなって。

生きている事が祝福なんじゃないかって。

ʻOluʻOlu

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