私はヒーリングとロミロミを生業としている(たまにヨガ)
今はたくさんの方にヒーリングでご奉仕したいので、そこが軸となって動いているので気持ちが楽な部分もある。
自分が癒されたくてこの道に入ったのだけれど、それは今も飽きることなく続いている。
 
今日は自分の選択の基準について書いてみよう。
 
私は高校まで公立だったのだが、中学校までは両親から子供は遊ぶことが仕事だからいっぱい遊べ、と言われて素直にすくすく育った。けれどそれは高校受験の時にひっくり返って、自分の無理のない高校を受験しようと思ったら、その高校だと大学の推薦枠がよろしくないのでこの高校に行きなさい、と言われた。
そこはかつて父が行きたかった高校だったが、当時父は学力がなくいけなかった高校で、大学の推薦枠がいわゆる東京の6大学が入っているような進学高校だった。父の夢?のようなものも一緒に託された気分でいた。高校の志望理由はいい大学に入るため。
 
子供は遊ぶもんだと思っていた私だったが、高校受験を境に友達と遊ぶことも制限され、お家で勉強をずっとしなければならなかった。クリスマス会にも行かせてもらえず。
そして無事に?両親が希望する高校に進学できたのであった。
 
そこから私は全く勉強ができなくなった。進学校であるそこにも馴染めなかったし、なんだか浮いていた。一生懸命頑張ったけど友達もあまりできなかった。
進学校であるその高校は一番できる同級生だった一人が東大に行って、みんなそれがしの大学に入って卒業して行った。進学率が99.9パーセントくらいだったんじゃないかな。
そして私はそこから0.01パーセントの道へと行ったのであった。この事実も当時はかなり辛いものだった。
良い大学に、という両親の希望だったが、それが見事に裏切られ大学すらも行けなかったのである(どこも受からなかった)逆に私がここでもいいかも〜という希望高校にもし入学していたら、その後の人生私は偏差値は高くないけれど大学に進学できていたのかもなあ、と思うことがある。まあ人生にもし、ということはないのだけれど。
 
私はこのことに対してすごく両親を憎んでいた時間が長かった。だけれどもそれもなんだかお門違いな発想だ。その高校生活がつまらなかったことと、落ちこぼれたことは全く両親とは関係ない。高校生活で勉強できなくなったのもうまくできなかったのも私の体験だ。何か一つ影響力があったとしたら、受験当時私は監禁されて勉強しなければならず、なぜ?子供は遊ぶことが仕事って言ってたじゃない?なぜ?こんなプレッシャーの中で、いい大学に入るために勉強しなければならないの?元気でいてくれればいいんじゃなかったの?というショックとごっちゃになっていただけのことだった。
ちょっと考えれば、そんなの大したことないと思って、サクッと若いんだから方向転換すればいいだけの話である。(大学に行けなくても)まあ当時の両親の存在が大きかったのだろう。(そして私に限らず、人というのは無意識に神という両親の声に従って生きていることが多い、大人になってもである!)
けれど囚われているのは私自身で、そこから自由になるのも自分自身だ。
 
両親はもうすっかりそのことについては忘れていると思うし、両親の事実(ストーリー)は私とはまた別で違うことだろう。そう、これは私のストーリー。
 
なんでこのことについて書こうかなって思ったのは、この将来のためにいい大学に入る、というモチベーションが所々、今の私にもまだ身についている癖があって、今の性格の一つになっていることというのを感じる時があるからである。
 
なんだかわからないけど、世間にとっていいとされているもの、格好がいいもの、受け入れられそうなもの、将来のためにという不安要素からなどなど、それを基準としている時があるなあ、と思うことがある。何かを決めるときに。そしてそれは別に悪いことでもない。
 
けれどヒーリングを学ぶようになって、こんな癖がある、ということを自覚できるようになってきた。この癖を自覚できるようになって、今までしてこなかった選択や行動がある、ということを知れたことは大きかった。そして私がつらいなあ、と思うときは大抵、不安や将来のためこうしたほうがいい、又は体裁が良い(したくないのに)という選択から行動に移した時だ。一番のポイントはしたくないのに、だと思う。
 
一概にこうしたほうがいい、というのはないのかもしれないけれど、なんとなくこうしたいからするっていう緩い選択を自分に許してあげてもいいのではないかなあと思えるようになった。
 
ハワイ島時代、全く真逆のタイプの友人がいて、ボディボードをしたいから、という理由で次の日に湘南に引っ越したことがある、という子がいた。
私はそんな自由があっていいのか〜、とびっくりしたが、今はそれでいいんだな、と思うようになった。
 
なので私もそれくらいの理由で何かを決定していくことがあっていいと、思っている。どうしてもエゴは頭で色々理由をつけて行動しようとするけれど。
 
理由を説明せよ!しかも納得のいくように、という癖がついている。
しかもいい大学に入るため、的な感じのものが。
 
ちなみにヒーリングスクールに通うと決めた当時の理由は、自分が病んでいて癒しが必要だと思ったから。通う、って決めた時は誰にも相談せずに決めていつのまにか通っていた。
通うの!と伝える先から、通ってどーすんの?なんになるの?と理解されないこともあった。理解されてなくても、なぜか全く気にならず通ってよかったなって今でも心から思っている。そしてその感覚が全てだと思った。
理由はそれなりにあったんだろうけれど、当時の理由を超えたそれ以上のものもあったんだ、と今になって気づく。
 
そして今、書いていて気づいたけれど、癖に振り回されている自分もいるがそうでない自分もいた、ということだ。ヒーリングスクールに行ってどうなるの?と言われてても信頼を持って選択して行動できていた自分がいたことを心から嬉しく思う。
 
もっと自分のしたいことにまっすぐに行けるようになりたい。
その過程で様々な感情を味わい、記憶が蘇ることもあるかも知れないけれど。(俗にプロセスと言います)恐れずに。
読んでくださってありがとうございます
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ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます 本当の自分を生きる未来創造セッション講座 7月募集中