自分を受け入れると何が起こるのか

世界一ブスなお姫様から の流れ

自己肯定感が高い人は、ダメな自分を受け入れられる人と言われている。

私の体験談を例えに出すと

タヒチアンダンスをしているんだけど、これが全然できない。

ファーラプという腰を思いっきり早く回す基本のステップがあるんだけど

全くできない。早くなると途端に身体のあちこちが硬くなってギクシャクする。

それでも優雅に踊りたいって気持ちはある。

最初、ダンサークラスで練習していたんだけど、全くついていけない。

そりゃそうだ。10年やっている人たちと一緒にする方が間違っている。

だけどどうにかなるかな?と思ってやっていた。

結果、ついていけないのでどんどん楽しくなくなってきた。

イベントにも出たいなんて思わなくなった。

ここで初めて、自分がどうしたいのか?

全然踊れない自分を認めて←認めるのが遅すぎ

どうしたら幸せを感じながらできるのか?を考えた。

クラスを変える、という単純なことだった。

はたから見ていたらごく当たり前のことでどうしてそれを最初からやらなかったの?と思うかもしれないけれど、自分にはできるかも、という謎の自信や期待があって見えなかった選択肢だった。

ごく稀にできる人もいると思う。自分もそっちの方だ!と特別視したかったんだろう。

クラスを変えて、基礎をやって、振り付けも簡単なもの、そしてゆっくり丁寧に教えてもらうことで、1年通ったダンサークラスよりも3ヶ月通った基礎クラスの方が上達した。

みんなと楽しく踊ることに幸せを感じてイベントも出たい!と自然に思うようになって出るようになった。

人生において、私は時々、いや、頻繁にこのようなことが起こる。

仕事にしても、もっと規模が大きくて目立つ(?)会社に所属した方がいいに決まっている。

などなど。

幼少期を振り返って、自分は実はそんなに向上心がある性格ではもともとなかった。

両親の期待は大きくて、いつも一番にならないといけないプレッシャーがあったように思う。

80点のテストをとったら、100点を取りなさい

この高校でいいよ、と言ったらもっといい高校に入りなさい。なぜならもっといい大学に入れるから

ピアノの発表会で一つ間違えたら、間違えないように、というように。

その期待に応えられないことがとても怖くて

出来ないのなら初めからやらないか、やって出来なくても出来ない自分を見ないようにする癖がある。

出来ない自分を受け入れられるとそこで余裕が生まれる。

タヒチアンダンスを例にすれば、

自分はキレッキレには踊れる可能性は今後すごく低いんだけど、それでも徐々に上達すればいい、キレッキレに踊れなくてもそれに近づいていきたい、という自分の願いを叶えてあげようとする気持ちが生まれる。

すると出来ない部分が具体的に見え始め、何が必要になってくるのかがわかるので、出来ないまま的確なことができるようになってくるのだ。

確かに出来ていない自分の動画を見るのは、とほほ〜かっこ悪いなあと思うけれど、だからこそ顎をもっと引いて踊ろう、とか解決策が見つかるのである。

そして、出来ている部分や頑張っている自分を認めてあげることができるようになる。

楽しみの部分、幸せを感じる部分に目がいくようになる。

そうなると、もう人生楽しくなってしまうよね。

ダメな自分を受け入れることは

本当に最強なのです。

これが自己肯定感が高いってことだと私は思っている。

傷が深く、大きい場合、できない自分を受け入れることが難しくなってしまうことが多い。

自分で癒していくのももちろんできます。

でも傷が深いと時間がかかることもある。

ヒーリングのセッションはとても短縮できることもあるから、自分自身だけではちょっと辛いなあって方はヒーリングのセッションおすすめです。

是非受けてみてね

今日も読んでくれてありがとう

愛しています

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます 本当の自分を生きる未来創造セッション講座 7月募集中