どう生きたい?

看護学校時代、終末期看護実習があった。

今の時代、学生にシリアスな終末期患者の実習は適切でないから廃止となったと後に聞いた。

当時、癌患者さんで家に帰れる事を目標にされている方の実習をしていた。

看護師や医師、ご家族の方が患者さんが穏やかに過ごされるよう日々お話されていた、なくなられることを前提に。ご本人は生きる気持ちを、お家に帰る気持ちをしっかりもたれていた。

その両者の気持ちのずれと狭間でメンタルが既にやられていた私だった。

手を洗いたい

患者さんとお話ししていて出てきた言葉だ。

自分で移動できず、洗面所までご自身でいけないのだ

次の日、看護計画に「手を洗う」と書いて、その通りに実習した。

車椅子に乗るのもやっと、でも、手を洗えた事で気分がスッキリして車椅子に乗れた!ということが患者さんの生きる希望となったのは周りのみんなに伝わったことだった

週末を挟んで、また「手を洗う」と書いた計画書を持って病棟に向かうと、患者さんのベッドはなくなっていた。

当時の私はそれだけでショックが大きすぎて、スキゾイドというディフェンスに入ってしまった(心と身体を乖離させる防衛方法)

メンタルがお豆腐な私はその後、看護学校を中退するのだが、ヒーリングとロミロミ(ボディワーク)をするようになって、とてもご高齢の方や残りの時間が少ない方のセッションのご依頼を度々いただいている。

皆さん、残された時間を大切に使いたい、と若い方と違うフェーズで生きておられる方だ。そして周りの方も同じく、その方にできる限りの事をしてあげたいと思っている。

手を洗いたい

私の原点はそこかもしれない

痛みが激しくても

ヒーリングをしている間だけは痛みで握り締められた手が解かれ、寝息が聞こえて来る

とても静かな時間でした

といただく言葉は

私にお金以上の何かを与えてくれる

私はこのお仕事を愛しています

今日また近しい人の訃報を聞いて

最近、大切な方や近しい人たちの訃報が続いたことで、

ふと想いを馳せてつらつら書いてみました。

ここまで読んでくれた貴方

愛しています

ありがとう😊

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます