楽になりたい

今日はマニアックなお話を

悟り・一瞥・ノンデュアリティ・ワンネス

いろんな表現がありるけれど、私はこの世界にすごく憧れていた時期があった。

人生が辛くて、楽になりたくて、どうやら悟ってしまえば楽になるらしい、という発想で憧れていた。

この状態に入ってしまえば、刑務所の中にいる囚人ですら至福の中過ごせるらしい、というお話を聞いたり、

今ある問題が全て解決する、という風に解釈して(ある意味そうなんだけど)とてもとても憧れていた。

でも、悟ることもできず、ワンネスもよく分からないまま時が過ぎていった。

 とうとうどうしようもなくなってヒーリングを学ぼうと思った。

それまでセラピーとかヒーリングに強い偏見を持っていた私が最後の砦で選んだ選択だった。

(若い頃、あるセラピーを受けようと資料を集めていた時、両親に変な宗教に入るなと全力で止められた経験や世間体とかの経験から偏見を持ったのかも、まあ色々あるから怪しいところもあるだろう、けれど今振り返ってみて、その時の私が選んだものは怪しくないものだったと思っている)

ヒーリングスクールで受けた、ヒーリングやセラピーはとてもよくて、自分が何に苦しめられていたか?ということが今まで生きてきた中で一番現実感を持って現れ、癒されていった。

それまで両親や友達、学校の先生などから得られる価値観、情報、アドバイスとは全く違う知識や知識を越えた体験ができた。

トラウマとはなんなのか?

思い込みとはなんなのか?

どうして頭でわかっているはずなのに身体が動かないのか?

同じ思考をぐるぐるしていたり、いつもの自分のパターンに初めて気がつけた瞬間だった。

わかっていたつもりがわかっていなかったことに気づいた

これは今も続いていて、どんどん理解、というか体感で深く分かっていく感じだ。

まさに探求とはこのことなんだなあ、という感じ。

そしてどんどんどんどん生きるのが楽になっていった。

少し話の視点を変えよう

一瞥した人も

肉体を持って日常生活をして生きていると

その人の癖、思い込み、信念はあると感じている。

その状態に入ってない時、肉体はトラウマを持って記録されているので、生きていれば自動的に反応してしまうこともある。

それでもそれに気づいている、ということができるんだけど、悟りと癒しはまた別のことなのだな、と思う。

そして、それでも出てくる感情、生きるということ、自分の中から出てくる情熱ややりたいこと、嫌だと思うこと、怒り、憎しみ、悲しみ、

全てにウェルカムという意味もやっと分かってきた。

そのままでいいんだってことだ。

そしてこの世が一瞥体験をした人たちがいう、ゲームだとしたら

本当になんでも自由なんだって感じられるようになってきた。

別に幸せでなくても人から好かれていなくても孤独な人生でも全然いいのだ。

本当に自由なんだって思えた。

だけど私は優しい人たちと一緒に笑って過ごしたいし、一人は寂しいし、食べることが好きだから美味しいものが食べたいし、海や自然の中で遊ぶことも大好き。それが出来ない時は悲しかったり、怒ったり、焦ったりしている。

だけど自由なんだって思いがあって、とても見晴らしの良い場所に立った時、より色濃く人生が鮮やかに現れた。

不幸でも全く問題ない、と思えるとより自分にとって幸福な選択をしていきたい、と純粋に思えるようになったのだ。

それがどんどん深まっていくような、今現在なのです。

おお、長い文章ここまで読んでくれたかたよ、どうもありがとう。

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます