記憶をアップデートしていこう

SNSのコメントを書くときや返信は難しいなあと感じることがある。

コメントをいただくこと自体は嬉しいし、コメントしたい!と思うこともしばしば。

付き合いが長くてそこそこ実際に会って話している人のコメントはそのまま返せるけれど、

面識があってもずっと会っていなかったり、長い間、話していない人のコメントはするのも受けるもの気をつけている。

というのは10年ぶりに久しぶりに知人と会ったとき、

当たり前だけど、お互いにあまりにも別人になっていて会話がチグハグだったことがあった。

最後に会っていた時、私は実家暮らしだったし、その人も転職したばかりで経済的に大変な時期だった。

それが、今は家を出て引っ越し先の場所の情報を知りたがっている、現実的なアドバイスを求める私と

ご結婚されてお子さんと奥さんを養っている大黒柱、職場でも管理職をされお家も購入しているお父さん。

最初は、お互い10年前の印象で会話がなされていた。

その10年間の間にあった、変化、成長、共通の知人の近状を理解する会話に時間を取られ、私が話したかった本題にはなかなか進めなかった。

それでも、その10年間でお互いにどれだけ変わったか、ということがわかっただけでも、実りある時間だったと思う。(あゝ、私もう別人って思った)

そんな調子で、何年も会っていないのに久しぶりにアドバイスするようなコメントを残されると、こちらとしてもどう返答していいか困ってしまう。

アドバイスしている方は、何年も前の私のまま、アップデートされていない私の印象でアドバイスやコメントしていることが多い。

もちろん、そうでない人たちもたくさんいる。

(だけど、アドバイスする人ってなぜかアップデートしてない人が多いんだなあ、と感じている私)

そこのどこが問題なの?と思われる方もいるかもしれないけれど

もし私が先ほどの知人に対して、転職して経済的に大変だった若いお兄さん、という印象で何かアドバイスするとしたら、実際一家の大黒柱の管理職の一男性に対してするアドバイスは全く違うものになっている、と感じてみて欲しい。

さて、ここまでは愚痴?のようになってしまったが、

自分自身に対してはどうでしょう?

好きな事、

好きな人、

習慣、

やりたい事、

趣味、遊び、服の好み

年齢と経験によって変わってきています。

それをずっと、好きだから、苦手だからと変わらず続けている事

または始めようとしない事

来るもの拒まず去る者追わず

自分自身の変化に柔軟に執着せず受け入れていくことができれば

淀まず清い流れのまま生きていけるんでないかなあ、と思います。

過去の記憶に捉われず、(ブロックとも言いますね)

傷があるなら癒して

大丈夫、もう今は違うんだって

安心して生きていけるかな?って

思います

自分自身に対して、勘違いしているところがあったらそのままの今の自分を見ていってあげようね

読んでくれてありがとう

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます