感情は私のもの

相手がどんなに
あなたに
 
怒っても
失望しても
悲しんでも
絶望しても
憎んでも
嫉妬しても
批判しても
 
それは相手のもの
 
あなたのものではない
 
極端に言ってしまうと
 
あなたの責任ではない
 
 
(だからと言って犯罪を犯したり故意に傷つけたり騙したり暴力をしていい、というわけではない)
 
 
そしてあなたが相手に対して
 
怒っても
失望しても
悲しんでも
絶望しても
憎んでも
嫉妬しても
批判しても
 
それはあなたの感情
 
 
相手のせいではないのです
 
 
責任を持つ
とは
 
自分でいかなようにも変えられるということ
 
 
相手にこうして欲しい、と伝えたり
そっと離れたり
どうしてそうゆう感情を抱いたかを探求してもいい
 
 
最近、
 
私がある人のことを悪く言っていた
 
ということを聞いて
 
平たく言えば悪口なんだろうか?
 
そんなこと
そんな感情
 
これっぽっちも持っていない
身に覚えがない
 
むしろその人のことを尊敬して好き
 
だから
 
そう受け取った人の
その人の問題なのだね。
 
私がどんなに良い感情を持って
何かを話していたとしても
 
その人のフィルターを通すと
悪口に聞こえたりする
 
面白い
興味深い
 
 
このお仕事を始めてから
 
私は
 
クライアントさんのリアリティを尊重するけれど
 
ニュートラルに捉えるようにしている
 
それは、その人のある真実が
ある時を境に
 
オセロがひっくりかえるように
 
黒から白に変わるように
解釈が変わることがある、
 
ということを何度か目の当たりにしているからで
 
そして私も同じく
 
そのような経験をしているから
 
真実は
 
わからないのである
 
 
 
 
 

 
 

 

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます 本当の自分を生きる未来創造セッション講座 7月募集中