冷静と罪悪感の間に

私はとても恵まれている環境にあって

私の生まれ持ったギフト、リソースが沢山ある

 

思い返せば、それを元に嫉妬される事もあり

そして自分自身も、私の存在自体に信頼を置けなくて

過剰にギフトやリソースに対して優越感を持ってみたり

その逆もあって、

そのギフトやリソースを捨てようとしたり

なかったことにしたくて、わざと大変な状況に追い込んでみたりしていた時期が長かった。

だけど昨日気がついた大きなこと

それは、

ギフト、リソース自体になんの罪もないこと

そして

私が感じている罪悪感は

そのギフトやリソースを活かせていないことだった

私の存在の否定からくるものかもしれない。

最近、朝、如何しようも無い不安感で目覚める時がある

フォーカシングしてもグラウンディングしても

不安感しか出てこない

そして、気がつくと布団の中で胎児のように丸くなっている自分がいる

もしかしたら、プレバーバルのものかなあ

なんて思っている。

そして

自分の身体と心に丁寧に向かい合っている時間を取ってあげているので

自然と解決するような流れになっていると思っている。

それは人との出会いだったり

全然関係なさそうなアイデアだったり

今、

冷静にそれを観察している自分と

不安に駆られる私と

交互にやってくる日々を

過ごしている

冷静と罪悪感の間に 笑

話は変わるけれど、

両親との確執が本当に取れてきたのは

母の骨折からだったように思う。

八ヶ岳のお家で薪割りをしている最中に骨折して

愛知県から自動車を長野の八ヶ岳まで飛ばして

東京の病院まで付き添って

その間父は、私に対してずっと怒っていた

自動車で東京まで送ってもらうことに対して当たり前のように振る舞い

運転が遅いなど横柄な態度で

食事を作ってもお礼などせず、

私を出来損ないの態度でずっと扱っていた

その度に私は怒り

父にその態度を改めよと伝え

長年の確執がそこから本当に溶けていった。

長年ずっと言えなかったこと、不当と感じていたこと

それを父に伝えるチャンスが与えられたのだと思った。

小さかった私ではなく

今の大人の私としてそれができた。

そこから

ゆっくりではあるが

父の私への深い潜在的な意識が変わったと感じている。

私も同じく、父や母への思いが変わっていった。

何が言いたいのかというと、

だから、

何か大変なことがあるときや

不快に思う出来事

表面化する

ということは

別な側面から見ると

それを変容させることができる

大きなチャンスだよってことです。

ということを言って

自分を励ましています 笑

もう、書きたいことがありすぎて

ブログが短くできない 笑

読んでくれてありがとう!

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます