許されて生きている

今日は銀座に知人のアート展に行ってまいりました。

とても素晴らしかった。

お話も弾み、お茶もして

だけど、都会はやはり疲れて

帰りの電車の中でぐったりして眠ってしまいました。

最寄駅に着く頃にふと目を覚ますと

窓から綺麗な雨上がりの空が広がっていて

虹が出ていました。

おかえり

と祝福されている気分となって

引越しはする予定ではあるけれど

この街に歓迎されているように感じました

アルバイトもまだ決まっていないし

物件もまだみていないけれど

こんな私でも生きていることがとても不思議で

今日のみんなとの会合や

美味しかったご飯やお茶や

ここで知り合ったお友達や

こんなに急き立てられることなく

生きている私は

子供の頃以来からもしれません。

自分のダメなところを

ここがダメなので、こうしたいんです

こうできますか?

とみんなに説明して

そして

許されて

誰も怒る人はおらず

頑張ってね、

と言ってもらっています。

小さい頃

お前の考えは甘い

もっと人一倍やらないとダメだ

子育てに失敗した

あなたの選択は間違っている

などなど

と頭ごなしに言われ続けた私は

いつの間にか

自分の状況や

こうしていきたい希望を

無意識のうちに押し込めてしまっていました。

そして、できる限り迷惑をかけないように

行動していると

今度は

その行動が理解できない

自分勝手

と言われることも多くなって

ますます

意固地になっていった私です

誰にも話せないと、

誰にも私の気持ちが伝わらないし

理解などしてもらえるはずはないですよね

けれど

この年になって

その時の傷が癒えて

きちんと状況を説明して

出来ないこと

出来ること

やっていこうとすることを説明することができるようになりました

そうすると

不思議とサポートが入ります。

誰ももう

頭ごなしに怒ったりしません。

耳を傾けてくれます。

もちろん

全ての希望が叶うことは難しいのですが

こうやって

笑って生きています。

ヒーリングやロミロミも

多分、今までの中で

一番いい状態でできています。

私は

本当に

出来ることが少ないのですよ

こんな私って感じですよ。

だけど

愛されていることを感じています

何よりもまず、

私が私自身の声を聞いてあげるところからそれは始まりました。

そして

どんな自分でも

尊く、

価値は変わらない。

ということを感じられるようになって

ゆっくりと景色が

変化していったように思います。

私のところに来る

クライアントさんは

真面目で

純粋で

可愛らしい

素晴らしい方が多いです。

こんな私でも

こんなにゆるゆると

生きています。

どうか

与えてもらっているその状況や

境遇に

罪悪感など持たずに

そして

何もしない自分を

何もないと思ってしまっている自分を

価値のないつまらないものだと

思いませんように

この言葉は

私自身にも向けています。

生きているのは

生きているからです

読んでくれて

ありがとう

ʻOluʻOlu

自分が望む人生を生きる 《環境・人間関係・仕事・お金・パートナー》 未来を創造していくセッションと講座を開催しています 身体・心・魂が一致した人生を生きるとき、 その人の人生は喜びに満ちていきます